拒絶の理由を発見しないから

その責めに帰することができない理由でブログを書いています

論文が読めるようになったのはいつか

 大学1年のときのALESSの授業で関連論文をいくつか検索させられたが,その時本文はほとんど読んでいなかったはずである。Google Scholarのスニペットを見ながら,ほしい文が書かれているものを適当に引用して済ませた記憶がある。従ってこの時はまだ(英語の,以下同じ)論文は読めていない。

 大学3年の夏学期の授業では,経済学・経営学分野の課題論文を読んで,更にその論文を引用している論文を読んで,感想を書けという課題が出された。結構苦労した記憶があるが,この時は一応論文を一通り読んだ。企業のケーススタディみたいな感じで知識がなくても読みやすかった部分があったのだと思う。英語が分かれば内容も大体分かるといった感じだ(分からないことが分からないだけだったかも)。

 冬学期には,卒業研究を見据えて研究室体験のような実習が組まれていた。そこで論文を読むことになった。論文は情報系の論文で,担当教員が選んだ。これがかなりきつかった。単語の意味が分からない。1ページ目のイントロにあったimplementの意味が分からない。手許にあったジーニアス英和大辞典を引くと「を実行する」とあるが全然文意が通らない。また単語の意味が分かっても何をやっているのかがサッパリ分からない。結局4週間かけて読み切れなかった。

 4年生になって卒業研究が始まると,論文の輪読にも参加するようになった。毎回苦労していた。precisionとrecallの理解ができず頭を悩ませた。読んだけど何がしたかったのかよく分からない論文はハズレ論文だった(指導教員に開口一番「これハズレだよねえ」と言われてホッとしたのを覚えている)。かと思えば,定番論文であるLafferty et al. (2001)を読んだときはもう全く何を言っているのかも何がしたいのかも分からなかった。

 自分の研究テーマと同じ目的の論文はなんとか読めるようになってきたが,そうでないものは読めないということであった。英語力の問題でもなければ,どこに重要な情報が書かれているかという構成の知識の問題でもなく,分野の知識の問題である。

 知識が増えてくると論文を読むスピードが上がることを体感したのはM1の秋だった。いくつか重要な論文を見つけて読み込み,関連領域の見通しが一気に良くなったところで,論文の流し読みができるようになった。

 論文輪読は内容の理解ができないから好きではないのだが,ここで幅広く概要を押さえておくと,いざ自分が違うテーマの論文を読むときにかなり楽である。単語の意味について事前情報があることと,なにがしたいのかというトレンドをある程度追えているからである。

 以上は論文の読み方を教わってこなかった故の経過である。無駄がかなりあるから,論文の読み方を教えるという行為には意義があると思う。ただやはり背景知識の量の寄与度が大きく,ここをいかに短縮できるかがスピードの上では肝心だろう。

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道路交通法58条3項で委任する道路交通法施行令24条1項1号「赤色の布」

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